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【高倉健と村上春樹】中国社会が受け入れた日本の大衆文化

2014-12-05 人民网日文版

高倉健と村上春樹。1人はすでに他界し、1人は健在で、全く異なる世代に属する日本人だが、この2人は中国で極めて大きな影響力を誇った、あるいは今も誇る人物であり、大衆文化の発信者だ。高倉健は、文化大革命(1966-1976)が終わったばかりの中国に入り込んだ日本の大衆文化の代表的存在であり、村上春樹は1990年代の社会的雰囲気の中、中国で急速に人気を高めた。2人は中国の大衆文化の「空白」を埋めた存在であり、一種のシンボルとなった。後発近代化国家である中国が、先進資本主義国家が発信する大衆文化を受け入れ、その内在的な精神に影響を受けたことは、必然的な宿命だ。逆に言えば、中国は今も、日本に対して高倉健や村上春樹のような人物を輸出することができておらず、巨大かつ持続的な影響力を持つことができないでいる。

今になって思えば、「君よ憤怒の河を渉れ」という映画は傑作と呼べるほどの作品ではなく、当時の日本でもそれほどの影響力はなかったが、中国では爆発的なブームとなった。高倉健の硬派なイメージが人気を博したのはもちろん、同作は、当時の中国人に近代的な都市生活のイメージを見せるものだった。マイカー、プライベートジェット、高架橋、地下鉄、ファッションやヘアスタイルなど、全ての要素が中国の観客を驚かせた。村上春樹が資本主義の大都市生活者を描く小説を書き始めたのは、「君よ憤怒の河を渉れ」の公開からわずか数年後のことだ。映画の「記号化」とは異なり、村上春樹の小説は人物の内面に焦点を当てたもので、大都会に住む人間の精神・生活状態を描写している。

高倉健が時代を象徴する人物だとすれば、村上春樹は今も時代の先端に立ち、影響力を発揮し続けている。この20年あまり、中国は急激な都市化を迎え、経済が急速に発展した。人々はもはや「社会の物事」に関心を持たなくなり、個人の生活や精神世界を豊かにすることに注目するようになった。村上春樹より前、中国大陸部では瓊瑤や金庸などの小説が流行したことがあるが、これらの小説は農業文明を描いたベストセラーであり、徐々に時代のニーズに追いつかなくなった。村上春樹は、大都市に住む個人がいかに生活を味わうかを描いており、都市化の中の社会ニーズに合致している。このため、都市で働くホワイトカラーや小金持ちがハルキストとなっていった。

過去、長期的に存在した集団主義の思想に比べると、個人生活への回帰は良いことだ。学者・姜建強氏が言うように、村上春樹の小説に出てくる「私」はいつも強い独白性・個人性を持っている。このような、内面を見つめる生き方は、外の社会的価値に重きを置く生き方よりも優れており、伝統的な価値観への反逆、再生とも言える。しかし、個人の小さな世界に浸り、その小さな世界を物質で飾り立て、己の楽しみや悲しみだけで満足していると、広い世界に関心を持たなくなり、現実問題から目を背け、果てはシニシズムに陥ってしまう。村上春樹の小説が持つ内在的な危機やマイナス影響はここにある。


村上春樹は自身が影響を受けた作家として、フランツ・カフカ、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァーを挙げている。村上春樹は大衆文化の外側に、純文学の内容を飾りつけようと試みた。しかし、現代人の異化の描写において、村上春樹はカフカには敵わない。夢の幻滅の描写において、フィッツジェラルドには敵わない。一般人のジレンマの描写において、カーヴァーには敵わない。それでも村上春樹が純文学の方向に向けて努力しているというのなら、その影響を受けた中国の若手作家は、彼に遠く及ばない。衛慧、アニー・ベイビー、郭敬明などの小説は、村上春樹の流行の要素を借りたものだが、純文学の精神からはさらに遠ざかっている。

「人民網日本語版」

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